ちょっと切ない歌詞が特徴的で、勢いのある演奏とサビで重なるコーラスがとてもかっこいい楽曲になっていて、硬派でストレートな曲はもちろんのこと、パンクを主にスカやポップ調などといった、様々なスタイルで音楽を操ることができるのは、まさにパンク界のカリスマ的存在と言えるでしょう。 日本にパンクが根付き定着するのは80年代以降からだ。
1結局パニックになる為、そこで配られなかったソノシートは、その後ライブをする場所であった新宿ロフトで配られ、人もあまりにも殺到したためライブも急遽2部制で行われる事となった。 これからの日本メロコアシーンを引っ張っていくであろう、若手メロコアバンドをいくつか紹介します。 NAOKIさんの最終確認が取れたのが9月25日であり、その後12月ごろに再び用事があり連絡してみたが返信がない。
18その魅力は若者の心を掴むのに時間はかかりませんでした。 (写真は、2007年のGAUZEのライブで拳を突き上げる若い観客たち). 2019年には長年連れ添った最愛の彼女を亡くしてしまい、失意の中にあったNAOKIさんだったために連絡が取れないこともあったが、何度か連絡しても一向に返事が来ない。
17都合の悪いときには、あの細い目をまん丸にひん剥いて、顔芸としか思えない表情でゴリ推ししながら、周囲を爆笑の渦に巻き込んでいた。
いまのはひと昔前のものに比べるとタイトだし、丈も短いし。 NO BRIGT GIRL は2019年マジで人気出て欲しいバンドですね。 ボンデージパンツを物色する日高さん。
11彼らのサウンドは、70年代パンクそのもので、これにより再びロック熱が高まりました。 日高:言われてみればTシャツもそうですよね。
19当時ニューヨークやロンドンでは、『SEX PISTOLS』『THE CLASH』『THE DAMNED』『RAMONES』などによるロックシーンを変えた一大パンクムーブメントが起きていた。
そしてその夜初めて体験した大勢のパンクス達が、客の頭の上やステージの上を飛び交いまくるハードコアライブは、まさに「自分は東京に来たのだ」という実感と、ある意味「そこから自分の人生が狂わされた瞬間」として、今でも僕の中に一番強烈なパンクの原体験として残っているのだ。 のギタリストであるNAOKIさんである。 俺がハードコアパンクのライブに通いだした頃には、NAOKIさんはTHE COMESのギタリストであり、当時まだ高校生の客だった俺は、恐ろしくて話しかけることなどできなかった。