また、Xに意思を抑圧され弟Dを通電したり、逆に意思を抑圧されたDから通電を受けたりしたこともある。 また松永と緒方でいえば、松永の方が先に、調書を取らない雑談のなかで、親族がいなくなったことを認めていたのですが、緒方が完黙を貫いていたため、捜査に進展がみられなかったのです。 豊田本P275・1997年7月にでと診断されたカルテが法廷に提出されて証拠採用されている。
10恐らく、こいつ自身も もっと恐ろしい悪か何かに狙われていたのではないか?と俺は思っている。 なぜ? ここでも「なぜ?」でした。
6大人になってからは工場で 働きながら一人暮らしをしていたところ までは分かっています。 その後、妹の夫が通電などの虐待によって死亡、甥と姪も殺害された。 次男24歳については、SNSでの発信はしていないようなのでその後は不明です 当時物心つく前だったという事もあり、事件については断片的に覚えているだけで、 知人Bの娘さんについてもほとんど覚えていないんだそうです。
2また母死亡後に関するBの証言によると、Xは家族を別々のマンションに分けて住まわせた際にBの妹と自分を一緒にしたことについて「当時、妹は買い物役をさせられていたが、それ以外は推測ですので、申し上げなくてもいいと思う」と言葉を濁した。 松永と小中学校の同級生だったCさんは、中学時代から松永の家に遊びに行くようになり、それは別々の高校に通っていた高校時代も続いていた。 ただし、「Bが主体性を失っていたとは言えない」とし、無罪とはならなかった。
20松永死刑囚は緒方受刑者に母親を浴室に閉じ込めさせた上、「困るのはお前たちだろう」と妹夫婦に問いかけた。 またBの姪だけがいない場面でXはAに向かって「アイツは口を割りそうだから処分しなきゃいけない」「アイツは死ぬから食べさせなくていい」とBの姪の殺害に関する発言をした。
さらにその日の午後11時には、保護された清美さんの証言をもとに、北九州市小倉北区にあるウイークリーマンションで、4人の男児が保護されている(*警察発表は10日。 一方で無期懲役判決を受けたBについては2007年10月4日に「被告人Xとの共同正犯と完全責任能力を認めたのに死刑判決を破棄し、量刑を無期懲役に減軽したことは納得できない」として上告の方針を固め、最高検察庁と協議した上で 2007年10月9日付でBについて「最高裁の死刑に関する判例に違反する」として最高裁へ上告した。
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