出生したのは男子でさえもあったからそれらの儀式がことさらはなやかであった。 辛い思いをおさせになるとは」 と言って、何も申し上げられずにお泣きになると、女君はいつもはとても煩わしく気が引けて近づきがたいまなざしなのに、とても苦しそうに見上げて、じっとお見つめ申していらっしゃると、涙がこぼれ出て来る様子を、男君が御覧になっては、どうして情愛を浅く思うであろうか。 ) 続きはこちら. 寿命は無常だからね」 とおっしゃって、灯火を眺めていらっしゃる目もとが、濡れていらっしゃるのが、素晴らしい。
10御修法などは、再びお始めさせなさるが、差し当たっては、楽しくあり、おめでたいお世話に、皆ほっとしている。 光源氏と紫の君 時間がないという方やお急ぎの方も、知りたい情報をピックアップしてお読みいただけます。
12不思議に、自分が自分でないようなご気分を思い辿って御覧になると、お召物なども、すっかり芥子の香が滲み着いている奇妙さに、髪をお洗いになり、お着替えになったりなどして、お試しになるが、依然として前と同じようにばかり臭いがするので、自分の身でさえありながら疎ましく思わずにはいらっしゃれないのに、それ以上に、他人が噂したり思ったりするだろう事など、誰にもおっしゃれるような内容でないので、心一つに収めてお嘆きになっていると、ますます気が変になって行く。 何病というほどのことはなくて、ぶらぶらと病んでいるのである。 葵の上に御息所のもののけ出現する---• 六条の御息所の娘は後に梅壺女御となり、秋好(あきこのむ)中宮と呼ばれるようになる。
1630 藤 袴• 45 橋 姫• 33 藤裏葉• この人は昔から、教養があって見識の高い、趣味の洗練された貴婦人として、ずいぶん名高い人になっていたので、斎宮が野の宮へいよいよおはいりになると、そこを風流な遊び場として、殿上役人などの文学好きな青年などは、はるばる 嵯峨 ( さが )へまで訪問に出かけるのをこのごろの仕事にしているという噂が源氏の耳にはいると、もっともなことであると思った。 (6) かの 御 み 息 やす 所 どころ は、かかる御ありさまを聞き給ひても、ただならず。 物の怪や生霊などというものがたくさん現われ出てきて、いろいろと名乗りを上げる中で、憑坐にも一向に移らず、ただご本人のお身体にぴったりと憑いた状態で、特に大変にお悩ませ申すこともないが、その一方で、暫しの間も離れることのないのが一つある。
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