賢治は仏教を厚く信仰し、童話の中でたくさんの「理想郷」を描いてきました。
彼は、岩手県花巻市で 最初のキリスト教徒と伝わります。 『宮沢賢治研究資料集成 第12巻』pp. これは、日蓮宗の「大曼荼羅(だいまんだら)」というものを書き写したものである。 こんな人と関わりを持っていた宮沢賢治は こういう人になりたいという願いをこめて、 この「雨ニモマケズ」を書いたとされています。
17「山川異域 風月同天」への返信 この詩は先に述べたように、日本から中国向けの支援物資の箱に書かれた、「山川異域 風月同天」への返信です。 1928年、過労から肺を患った宮沢賢治は、いったんは回復しますが、1931年に再び病に倒れ、2年後の1933年9月21日に肺炎で死去。 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ䕃ノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ 南無無辺行菩薩 南無上行菩薩 南無多宝如来 南無妙法蓮華経 南無釈迦牟尼仏 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 ノートから見つかった宮沢賢治の遺作 宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を読む前は小説なのかと思っていました。
16この時点であの有名な『銀河鉄道の夜』も『風の又三郎』も未発表の状態であったのだ。 なぜかはわかりませんがその尊大さなのかもしれないですね。 賢治がこの言葉に込めた自己犠牲あるいは献身の精神は、容易に愛国精神へと転嫁させられたのである。
20そこでなら死んだ妹の遺影を眺めながら、仏の教えに耳を傾け、過不足なく暮らしていける。 例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。