2011年の東日本大震災直後は、「自粛」や「旅行控え」という消費者行動が目立った。 Googleマップ• アマビコやアマビエを研究に取り上げている長野栄俊は、『ふーぽ』のコラム(2020年3月11日)で、こうした創作活動を行う人々たちのあいだでのアマビエイラストのブームについて言及しており、2020年3月の流行に際してのアマビエは、元々存在していた「予言」の要素についての言及が人々の間で取り沙汰されている点が全く見られず、より単純なとしての特徴のみが拡散していると分析している。
瓦版はその場所で作成されて刷られ、配られます。 海中からの出現、豊作や疫病の予言、その姿を写した絵による除災、3本以上の足による直立という外見などが共通している。
10その姿は人魚に似ているが、口はくちばし状で、首から下は鱗に覆われ、三本足であった。 道が通れない!と思ったら、それは塗壁のせいかもしれませんよ。 京都大所蔵の江戸時代の瓦版によると、同年4月中旬、肥後の海中に光るものが毎晩のように出現。
記者が「この状況が興味深いですね」と話すと、湯本さんは「基本的に怪異というのは、時代にしたたかに乗ってくるものなのです」と語ります。
16実は「アマビエ」という妖怪は…. 情報の乏しさゆえに長らくマイナーな存在だったが、、さらにその一枚絵を参考に可愛らしくリファインされたキャラクターとなってアニメに登場。 妖怪や怪異というものは、「それがここにいた・いる」という情報発信をされるために生きているものではなく、社会にとって必要な場面において存在感を放つものだ。 この資料などから、『疫病よけとして、自分の姿を人々に見せるように』と予言した妖怪だととらえられています。
2アマビエに似た妖怪が天草に なんと天草にも似た妖怪が! 画像出典: wikipedia内 また 天草の山中に、形態はアマビエと似た「 山童」という妖怪が現れたという伝承がある[1]。 そのため 安政5年(1858)のコロリ流行時には、虎列剌(コレラ)除けの摺物として「猿に似たる三本足の怪獣」の絵姿が江戸市中で売り歩かれた。
16現代よりも社会の単位が小さかった時代には、社会の数に応じた伝承や記憶があり、口述や絵によって知識や記憶を受け継ぎ、それが肌感覚を持った社会記憶として人々に定着していた。 地元では、アマビエはどれぐらい知られているのだろうか。