特に水の色、鮮やかな良い青ですよ! 同じく新版画の名手. 芝増上寺(1925)雪の中を急ぎ足でいく女性と増上寺の門の朱がステキなのですが、とくにこの構図がとても気に入りました。 版画をつくるようになってからは、版画としての出来上がりを予想して、1本1草も除けなくてよいところを選んで写生するようになった。 「題材」としては豊富な日露戦争に関しては、錦絵ではなく、写真製版による報道画報ものや、西洋で絵画の複製品をつくるためにさかんに用いられていた、多色刷りの手法であるクロモ石版に押されてしまっていた。
画集も出版されています。 スティーブ・ジョブズ氏を初め、世界的にコレクターが多い事がわかってきた。 紫浪(かさまつ しろう) 石山之月 高橋松亭(明4-昭20) は浅草出身で、新版画の先魁とも言える人です。
19このときは絵の下にくずし字で題が書かれていたので、を使って解読してみました。 (7年)、師の清方が得意としたで行き詰まりを感じ始め、同門・の版画「近江八景」に影響を受けて版画家に転向。 このブログでGIFアニメにしたときも、資料が出てこず、絵の題も分かりませんでした。
9そこで葵橋洋画研究所(後の白馬会)に通い、洋画家・岡田三郎助(さぶろうすけ、1869〜1939)の指導を受けることになった。 「いろいろあった」人生の到達点、終着駅を目前とした雲水の背中は、「あと少し」という緊張感や焦燥感、そして孤独ながらも厳格にまっすぐ伸び、また同時に、達成感や安堵感にも満ちている。 庄三郎は、江戸時代に興隆を極めたものの、明治に入り、衰退の一途をたどっていた版画の復興を目指していたからである。
2このような状況の中、庄三郎は、1909(明治42)年、銀座に「渡邊木版畫舗(がほ)」を立ち上げた。 昭和32年(1957)、自宅において胃癌のため死去。
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