イッタラのロングセラーとなったアイノ・アアルトのガラスの器は、1936年にミラノ・トリエンナーレで金賞を受賞。 1階にあるタベルナと呼ばれるスタッフの食堂で、 アアルト夫妻とデザインの歴史についてお話を 伺ったあと、仕事場がある2階へ進みます! 気持ちのいい光が差し込む「製図室」 天井から差し込む光を感じながら階段を上がった その左に、製図室がありました。
20たくさんの照明が吊り下がっていますが、これは 明かりのテストを行うためのもの。 アアルトが残したものは、フィンランドの至るところで見られます。 細部に至るまで細やかな配慮を重ねました。
10アアルトは、当時のヨーロッパで広がっていたモダニズム(機能主義)を取り入れつつ、フィンランドの自然と歴史に根差した独自のモダニズム建築を目指しましたが、マイレア邸はその代表的存在。
15、の農業組合本部との図書館ので一等を獲得したことをきっかけに、設計事務所をトゥルクに移した。 アルヴァ・アアルトが手がけた個人住宅の中でも、唯一芸術家のために設計した珍しい家です。 機内のテーブルウエアやテキスタイルも、全てマリメッコ。
16villakokkonen がシェアした投稿 - 2020年 1月月14日午前9時59分PST コッコネン邸(Villa Kokkonen、1967-1969年)は、作曲家ヨーナス・コッコネン(Joonas Kokkonen)にアアルトが設計。 このアトリエは、ムンキニエミという閑静な 住宅街にあります。 つまり、世界中へ何度も打ち合わせに出かけていたことになります。
11949年、妻アイノ死去。 好奇心から引き寄せられて、気がつけば、チャペルの周りをぐるぐる回って、入り口を探している自分に気づくかもしれません。
サヨスは、サーミ語で「ベースキャンプ」を意味します。 仕事場とプライベート空間では使用する素材を変え、2つの空間を分けています。
道り側の外観は質素にデザインされ、閉鎖的に見えますが、庭や開放的な室内は手の込んだ作りとなっています。 何度も写真で見た、憧れのアアルトハウスの木の扉の前に立つと、当然ドアが開いて、アアルト夫妻が「ようこそ」と出迎えてくれるような不思議な感じがしました。
5もう一度、イタリアを旅したのです。 1930年代からアアルトは国際建築協会(CIAM・ 近代建築国際会議 など)のメンバーとなり、各地に講義に出かけたり、アメリカのマサチューセッツ工科大学で客員教授も務めました。 ファサードはアラビア社製の淡い色のHallaタイルで仕上げ(hallaはフィンランド語で霜を意味する)、高めに作られコンクリートの基礎部分は白く塗られています。
2