経営の基盤は「仲卸事業」だが、2009(平成21)年に「水産加工・製造事業」を第2の柱として位置付け、事業の複合化に注力。
11水戸藩主の徳川斉昭 なりあき・1842年頃 が『種梅記 しゅばいき 』に梅への想いを記載。 1695 元禄8 『尺素往来 しきそおうらい 』に、菓子として利用と記載されていることから、果樹栽培はこの頃から始まっていたと思われる。
構造 鉄筋コンクリート造・2階建 面積 建築延床面積:1. この【ちん里う】さんは大正時代は駅前には2軒あったそうですが、関東大震災の際に、当時モダンな建物だった一軒は全壊したそうで、当時の写真も見せて頂きました。
1第3の柱は、消費者に直接アプローチする「販売事業」。 この曽我梅林では、温暖な気候を利用して古くから梅の栽培が盛んであり、地域全体でおよそ45ヘクタール、3万5千本の梅が植えられています。 100:非常に混雑し、写真を撮るのがやっとのレベル。
20小田原では曽我梅林で取れた梅を利用した梅干が名産品として出荷されており、全国的にも有名です。 また歴史的にみても、曽我十郎五郎兄弟が育った場所としても有名であり、数多くの史跡が点在しています。
市川さんは「こんなときだからこそ前に向かって進むことが大切。 代表を務める市川将史さんは「プロの方々と接する仲卸事業と、あらゆるニーズに対応する水産加工・製造事業、そして消費者の方々と接する販売事業。
また店内には梅を漬けた古い大樽や木彫りの椅子やテーブル。 その後、昭和に6年この母樹の枝を穂木として譲り受けた小山貞一さんによって受け継がれ大切に育てられました。 江 戸 1619 元和5 寛文年間 京都・鹿苑寺 ろくおんじ の鳳林和尚 ほうりんおしょう の日記 1661~1673年 に、「紅色 べにいろ の梅干が珍しい」と記載。