・修行(しゅぎょう)に修行を重ねて悟(さと)りの世界に上りつめたとしても、まだそこは悟りにいたる境界なので、安住することなく、執着(しゅうちゃく)することなく更に一歩を進め、身を投げ出し、自由無礙(じゆうむげ)なることが肝要(かんよう)であるということ。 何とその小さな雛鳥たちは百メートルの断崖から次々に飛び降りて行くのである。 さらに私の大変尊敬しているキリスト教の方の言われていることを紹介いたします。
それは、第 30話の禅語 百尺竿頭進一歩(ひゃくしゃくかんとうにいっぽをすすむ) 大死一番、絶後再び蘇る(だいしいちばん、ぜつごふたたびよみがえる)でした。 最大限度(さいだいげんど) 「百丈竿頭」とは、「百丈ある竿の先端」のことで、「到達することができる極点」という意味です。
9小人といって自分勝手ばかりやる小さな人物じゃ無論ダメだが、君子(くんし)といわれても、君子臭くてもいけない。 百尺竿頭進一歩 2012年6月1日 第161話 百尺竿頭進一歩 百尺 ひゃくしゃく 竿頭 かんとう に 坐 ざ する 底 てい の人、 然 しか も 得入 とくにゅう すと 雖 いえど も、 未 いま だ真を為さず、 百尺竿頭に 須 すべか く歩を進め、十方世界に全身を現ずべし。
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