」 「 死 shi にたくないなら nitakunainara 生 i きていなさい kiteinasai。 軽々しく死にたいだとか 軽々しく命を見てる僕らは命に嫌われている。
11どちらも、それぞれの良さがあります。 さよならばかりが好きすぎて本当の別れなど知らない 僕らは命に嫌われている。 心から苦しくて 「死にたい」 と思っていている人に、 そんな言葉が響くわけがありません。
1軽々しく死にたいだとか 軽々しく命を見てる 僕らは命に嫌われている。
寂しいなんて言葉で この傷 きず が表 あらわ せていいものか そんな意地 いじ ばかり抱 かか え今日も一人ベッドに眠る 少年だった僕たちはいつか青年 せいねん に変わっていく。
それでも僕らは必死に生きて 命を必死に抱えて生きて 殺してあがいて笑って抱えて 生きて、生きて、生きて、生きて、生きろ。 。
他人が生きてもどうでもよくて 誰かを嫌うこともファッションで それでも「平和に生きよう」 なんて素敵なことでしょう。 明日、死んでしまうかもしれない。 幸福の意味すらわからず、生まれた環境ばかり憎んで 簡単に過去ばかり呪う。
軽々しく扱われる「命」 お金がないので今日も一日中惰眠を謳歌する 生きる意味なんて見出せず、無駄を自覚して息をする。 すべて、無駄になるかもしれない。 実際自分は死んでもよくて周りが死んだら悲しくて 「それが嫌だから」っていうエゴなんです。