鹿瀬工場においても、1959年(昭和34年)に石灰窒素の製造を廃止し、以後酢酸誘導品の生産量を増加させていくことになった。 影響は水俣湾にとどまらず不知火海沿岸に広がり、現在も手足のしびれなどを訴え、賠償や患者認定を求める訴訟が続いている。 また、胎児曝露では、このような選択性が低く、大脳・小脳・脳幹全体が障害されうることがわかっています。
11しかし1950年代頃から人にも被害が出るようになり、熊本県や鹿児島県で多くの犠牲者が生じてしまいました。
自分を取り巻いている今日(こんにち)の社会を自分が拒絶しようとして出た一種の禁断症状ではなかったかと思います。 2007年:水俣病関西訴訟の81歳女性が認定求め提訴。 環境省(環境庁)• これはあくまで「経験的」に効率よい水銀の安定回収ができる工法であり、理論的な生成機序の研究はされておらず、したがって有機水銀の中間体が出来ることは誰も気づかなかったのである。
水俣病問題は、今なお残り続けているといえるでしょう。 直接的な因果関係が誰の目にも明らかであれば、チッソもここまでの対応にはならなかったかもしれません。 その後の必要な調査はなされず、食品衛生法、水質二法、熊本県漁業調整規則などによる法的な漁獲規制も行われなかったため、チッソはアセトアルデヒドの生産を続け、排水は海に流され続けることとなりました。
8水銀パニックから福岡高裁判決(S48年~S60年)• 表紙が青いことから関係者の間では「青本」と呼ばれる。 【イタイイタイ病】の原因、症状、対策などを解説 富山県の神通川流域で発生したイタイイタイ病。
201982年:「チッソ水俣病関西訴訟原告団(団長岩本夏義)」結成、チッソ水俣病関西訴訟提訴。 カーバイドの用途はもともと肥料用が主たるもので、有機合成用は一部を占めるのみであった。 なお、水俣病未認定死亡患者は名簿にその名を記載することさえ許されていない。
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