そんな中で掬った後の金魚の姿を見て、詠み手はがく然とするわけですので、詠み手の心理を鑑賞するのはもちろんですが、それだけではなく、1匹だけ掬われた金魚の「思い」を、人間の楽しい雰囲気・雑踏などと対比して推測してみると、もう少し深みのある鑑賞文になるかもしれません。 つまり第1句は仮想なのです。
176、呼び掛け法のあるところ。 もちろん、「芽」をつぼみととらえる解釈もあるでしょう。 (ちなみに、その子は東大に行ったそうです) お勧めです! おまけですが、下記アドレスのサイトは、よく参考にします。
14質問者ではありますが、実は僕はいま思いついたのですが、「くれなゐの」とは「紅色の花を咲かせる品種」という意味で、まだ赤い色が植物のどこかに出ているわけではないのではないかと思い始めました。
15適当なのが思い付きません。 春雨の降り掛る様子が柔らかい感じなのではないかと思うのですが、 間違っているでしょうか。
6この棘が春雨にぬれているせいでふやけているのか、それとも子規の嬉しい気持ちの表れなのか、棘という本来、硬いものでさえも、柔らかに感じられてしまう。 ・ 病気と闘いながら短歌革新を進めていた作者だが、 彼方で 自分だけを照らす星を心の中で描いた心境を 表した下の句が、夢のある断定になっている。
6くれなゐの光をはなつから草の牡丹の花は花の王 #9に続けます。 「子規」の歌でしょうか。 作者がバラに見たものは希望だったか、自然の摂理だったか。
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