何にも依存することなく、しっかりと自分の足で立つ。 1950年、24歳で結婚した茨木は、家事の傍ら詩の創作をするようになります。 この短い遺書を読むだけで、茨木さんのきっぱりとしたお人柄が透けて見えるように感じられませんか? フェミニズムと茨木のり子 SDGSの目標の中には「 5 、ジェンダー平等を実現しよう」がうたわれています。
16茨木のり子は2006年、くも膜下出血のため、79歳でこの世を去りました。 知ったつもりになって天狗になっているだけではないのか。
3昼も夜もなく、精悍だったお父さんの遺骸のまえでさらに茨木さんの真骨頂であることばが続く。 忙しい毎日を送り、ふとした瞬間自分を見失いそうになったとき。 企画の立案者は、京都新聞記者の行司千絵さん。
「権力のある人」「組織のトップ」と聞いたときに頭にイメージとして浮かぶのは男性であり、そのイメージに女性は該当しないというイメージを自分自身が持っていることに驚きました。 その後、「いさましい歌」が雑誌「詩学」に掲載されました。
5おわりに 茨木のり子さんの残した詩は、今も時代を超えてきらめいています。 「ヒールを履かなくてもいいんじゃないか」という主張を、発見するということ。 太陽も一年のうちで最も高く昇ります。
12茨木のり子「花の名」より抜粋 ・・・ 女のひとが花の名前を沢山知っているのなんか とてもいいものだよ 父の古い言葉がゆっくりよぎる 物心ついてからどれほど怖れてきただろう 死別の日を 歳月はあなたとの別れの準備のために おおかた費やされてきたように思われる いい男だったわ お父さん 娘が捧げる一輪の花 生きている時言いたくて 言えなかった言葉です 棺のまわりに誰も居なくなったとき 私はそっと近づいて父の顔に頬をよせた 氷ともちがう陶器ともちがう ふしぎなつめたさ 菜の花畑のまんなかの火葬場から ビスケットを焼くような黒い煙がひとすじ昇る ふるさとの海辺の町はへんに明るく すべてを童話に見せてしまう ・・・. 『茨木のり子詩集』(思潮社・、1969年)• 豊かな表現力で綴られている、バラエティーに富んだ自由詩の世界を堪能することができます。 家事のかたわら詩誌『』の投稿欄「詩学研究会」に投稿を始める。 町の中心からやや離れている 歩いて市街地へ行き 庄内交通バスの「加茂・湯の浜温泉行き」に乗車 加茂港が見えたら下車。
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