のちに(徳島隊の行軍計画書閲覧時に「小隊編成の三十一連隊長距離行軍は強引かつ無謀すぎるから成功するとは思えない」と皮肉り、「小峠までの予備演習結果は良好だった」旨の報告を神田大尉より受けた)山田少佐が雪中行軍の目的を「小隊編成かつ長距離の三十一連隊に勝つため」へとすり替え・「大隊を繰り出しても八甲田へ行ける」として本番直前に(自身の小隊編成要望を一方的に退けて)行軍隊編成を急きょ変更。 ロープウェイで一気に山頂まで来ることができます。
7斉藤伍長の伯母 演 - 斉藤伍長(弘前歩兵第三十一連隊)と長谷部善次郎一等卒(青森歩兵第五連隊)の伯母。 しかし準備と経験とを欠いた状態のまま難所に差し掛かり、猛吹雪により進路を誤り遭難した。 日没後は崖の陰に寄って夜を凌ごうとしていたところ、今泉三太郎見習士官が下士1名を伴い、連隊に報告すると告げ、裸になると倉石の制止を振り切り川に飛び込んだ。
15終了から6年を経て、のへの進出で日露関係が緊迫して、もはや大陸での日露開戦は不可避と見られていた。 小原の証言によって事件の詳細が判明した。 午後3時頃には、最後の生存者となる村松伍長が古館要吉一等卒の遺体とともに田代元湯付近の小屋で発見された。
12ちなみに2015年現在、青森県県道40号沿いに第1、第2露営地跡の標識があるが、この間は徒歩で約10分ほどの距離である。 田代までわずか2キロの距離であった。 銅像茶屋 - 青森県県道40号沿い、後藤伍長像に続く参道の入口脇にある民営ドライブイン。
11江藤伍長が微かに言った「神田大尉殿」という言葉をもとに救助隊が周辺を捜索した結果、江藤伍長発見場所から100m先で全身が凍結した神田大尉を発見・収容している(軍医が気付け薬を注射し蘇生しようとしたものの・皮膚まで凍結していて針が刺さらず、次に口から薬を飲ませようとしたが神田大尉は結局息を引き取った)。
1