みんな勢いよく手を挙げて本当に元気いっぱい! 子どものパワーってすごい! で、飛び出した質問がどれも際どくてするどい。 さすがロックスター。
1その期日がある中に自分の思ってることをやるってのが ものっすごい密度の濃い時間だったんですよ」 千「それって宮本さん、全くゼロでこの音楽、このメロディに対してこっから生み出すのか、普段からレコーディングじゃ無いときに 普段から何個か浮かべといて、これにちょうど当てはまるぞってなこともあるんですか?」 宮「そうです」 千「気になる単語とか」 宮「そうです」 千「気になるフレーズとかも何個か頭に浮かべておいてそれを落としてきたりとか」 宮「そうなんです!それが僕はMASTERPIECEと思った。 宮本浩次さんが、自身のお気に入りの女性に『リルガ』というあだ名を付けるようです。
7車っていう限られた空間の中で四人家族で乗っていくっていうのは、凄く思い出に残っています。 MASTERPIECEとか大学とかホームラン王ってのは適当に言うんです」 千「大学ってのは?大学ってのは存在しない?」 宮「いやいや(笑)多分、そう思うんですけど、調べてないんで分からないですけど(笑)」 千「そこでなんで大学ってつけてるんですか?(笑)」 宮「いやだから『大学』でもいいやっていう所もありますよね!」 スタジオ爆笑。
1958 幼少時代は家族の影響で歌が大好きになる ロックシーンを代表する存在として異彩を放ち続けるエレファントカシマシのボーカル、宮本浩次さん。
1しかし、宮本さんは 『彼女にお金を全て盗まれる事件』があったので、もう2度と女性に財布を握らせたくないのではないでしょうか? ちなみに、宮本さんは当時の心境について、 「曲がつくれて、稼ぐことができるから、お金が無くなっても問題ない」と気丈なコメントを残していますが。
13また、宮本浩次さんは 「ある事件がトラウマになっているから結婚していない(もしくは結婚を隠している)のではないか?」といった情報を見つけました。 さらに、その彼女にフラれて以降、宮本さんは音楽活動に気持ちが入らず 当時は年に3回しかライブをやらなかった年もあったそうです。 当初は6人編成で、 ディープ・パープル、レインボー、RCサクセションのコピーから始められました。
このような過去の壮絶な経験から 人間・マスコミ不信になり、仮に結婚をしていたとしても公表したくないのではとファンからは思われているのです。 この時から歌が上手いと言われていて、ソプラノのスター的な存在だったとも言われています。 大学3年生にあたる1988年4月号の音楽雑誌『ロッキング・オン・ジャパン』で取り上げられたことから注目を浴びました。
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