一人で乗り込んだ三崎を囲む兵頭たち、やがて兵頭の拳銃が火をふいた。 今ではの学生歌のようです。 倒れる兵頭。
6惜別 せきべつ の歌 「惜別 せきべつ の歌」 島崎藤村作詞・藤江英輔作曲 注1 遠き別れに たえかねて この高殿 たかどの に 登るかな 悲しむなかれ 我が友よ 旅の衣 ころも を ととのえよ 別れといえば 昔より この人の世の 常なるを 流るる水を 眺 なが むれば 夢はずかしき 涙かな 君がさやけき 目のいろも 君くれないの くちびるも 君がみどりの 黒髪も またいつか見ん この別れ 君が優しき なぐさめも 君が楽しき うた声も 君が心の 琴の音も またいつか 注2 聞かん この別れ 注1 「惜別の歌」は、島崎藤村の詩集/若菜集の『高楼 たかどの 』内の数節を再構成して作られ、戦後歌声喫茶などで歌い継がれてきたもので、歌誕生の由来等については、以外にもネットで種々紹介されています。
17島崎藤村(島崎正樹)は、信州馬籠宿の本陣の生まれで、島崎家は幕末の<水戸の天狗党事件=これが小説『夜明け前』の舞台>や<赤報隊事件=幕末の相楽総三の事件>にも関与した旧家でした。 あばれ込んだ兵頭の乾分はマーケットで荒れ狂い、ついに常次郎まで殺してしまった。 またしても抒情歌です。
曲が出来た経緯を知ると、ますますその曲に対する作者の思いが伝わってくるようで、切なさが込み上げます。
彼は、昔恩になった神戸組を訪れたが、神戸組は今は親分も亡く、未亡人を助けるのは常次郎一人というさびれ方だった。 詞は の 「高楼 たかどの 」という8連の詩から3、4、6、8番に当時のの学生だった 英輔が曲を付けたものです。 英輔は1944年当時、軍需工場に勤労動員中でしたが、により戦地に赴く友人に思いを込め作った曲でした。
19その変りように神戸一家は大喜びだった。