横浜法律事務所で主に坂本弁護士と話をしたのは青山で、途中から上祐が加わった。 2020年7月14日閲覧。 、TBSは坂本弁護士のインタビュービデオを見せた事実はなかったという「社内調査概要」を発表。
17— 大川参考人、 衆議院法務委員会 問題の解明と謝罪 1996年(平成8年)に「早川メモ」の全容が明らかとなり、TBSがインタビュービデオを見せたことは否定できなくなる。 『「オウム真理教」追跡2200日』p. 287• つまり、TBSがオウム側にビデオを見せたことが、坂本弁護士一家殺人事件を引き起こす発端となったというのが、TBSビデオ問題なのです。 結果として曜日担当プロデューサーがオウム側に事前にビデオを見せることを認め、その場の事態を収拾した。
14さらにTBS側スタッフがオウム幹部にビデオを見せたことは、 情報源の秘匿というの原則に反し、を大きく逸脱するものとして批判された。 」と尋ねると「はい…」と弱々しく答えて自認したため、その場から別室へ移動し、この部屋で警察嘱託の医師によって身体の異常の有無を診察された後、「特に異常無し」との医師の所見であったことから、同室で山田から逮捕状の執行を下命された前述の機動捜査隊副隊長Bがの裁判官から発布された逮捕状〔甲〕記載の別紙「被疑事実の要旨」を麻原に読み聞かせ又は示して、9時45分、麻原を地下鉄サリン事件の被疑者として殺人及び殺人未遂の罪で通常逮捕した。 毎日新聞社会部 『オウム「教祖」法廷全記録3』 現代書館〈オウム「教祖」法廷全記録〉、1998年、93頁。
13TBSは同日の会見 で改めて否定し、19日に横浜法律事務所に、坂本のインタビュービデオを見せた事実はなかったという趣旨の回答書を提出した。 146• 、『私にとってオウムとは何だったのか』 2005年 p. 新実智光死刑囚 54• それによって、麻原は被害者の会が坂本弁護士の指導とイニシアチブによって結成されたことを知った、と見られる。
20検察庁の捜査結果につきましては私どもはコメントできませんけれども、社内の調査では、見せたという事実は出ていないと確信しておる次第でございます。 信者からの銃撃が想定されたため、機動隊員もと拳銃を装備し厳重警戒態勢にて現地入りした。 抵抗が激しく中川が手間取ったため誰にもをしっかり打てず、窒息させて一家全員を殺害した。
さらに、事件後もその事実を秘匿し続け、強制捜査が始まって早川のメモや供述によって、捜査機関に事実が発覚した後も、TBSはビデオを見せたことを否定した。
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